日本初のレーシックは2000年

レーシックは1990年に、ギリシャで初めて行われてから、裸眼視力を向上する唯一の方法として認知が広まり、
いまでは世界中で一般的に施行されています。

アメリカでは、1995年にエキシマレーザーの使用認可がでました。
日本では一歩おくれて2000年から厚生労働省がエキシマレーザーの使用認可を出しました。

しかし、レーシックとして術法が確立されるまでは、色々と試行錯誤の時代がありました。
1970年代に、ロシアで開発された視力回復手術は、PK法というもので、
顕微鏡で眼を観察しながら、放射線状にメスをいれて、カーブの曲率を調整し、近視を矯正するというものでした。

これはかなり高度な医療技術を必要としますし、実際にどれくらいメスをいえれればよいのか、当時は暗中模索の状態で、
失敗も多かったとのことです。
事前に正確に測定する機械もなかったものですから、難しい勘にたよった手術といえます。

日本では1940年に順天堂大学の佐藤教授が、はじめて実際に角膜を削るPK法を臨床でおこないました。
その結果、角膜混濁をおこしてしまい、最終的には失敗におわりました。
しかしこの時の臨床データは眼科医学会に大きな影響を与えました。
「佐藤pk法」といってたびたび参照され、ヨーロッパ・アジアでは盛んに行われました。

視力回復術における革命的な出来事は、エキシマレーザーの開発です。
エキシマレーザーとは、希ガスやハロゲンなどのガスをもちいて、発光させるレーザーです。
1975年に開発されたエキシマレーザーは、波長は193nmと非常に短く、物質の原子間結合を切断することができます。

人間の体は主にタンパク質、アミノ酸でできており、つまり炭素の化合物といえます。
エキシマレーザーは炭素の分子結合を切断、熱を発生させず、角膜の奥までダメージをあたえることがないので、
非常に屈折率を調整するのに適していました。

しかしこのPRK法の欠点は、どうしても角膜が大きく傷つき、痛みをともなうという大きな欠点がありました。
そこでギリシャの眼科医、バリカス医師によって開発されたのが「レーシック手術」です。
レーシックとPRK法の大きな違いは、マイクロケラトームという機械で角膜の表面を削ってフラップを作成することです。
これにより、直接角膜を削るPRK法の弱点である痛みの発生を大幅に抑えることができました。

2000年、日本でもその安全性が評価され、厚生労働省から認可がおりました。