レーシックはギリシャで生まれた

レーシックが日本で厚生労働省に認可されたのは、2000年のことでした。
そもそもレーシックが世界ではじめてうまれたのはどこで、いつでのことだったのでしょうか。

1970年代に、ロシアで開発された視力回復手術は、PK法というもので、
顕微鏡で実際に見ながら、メスを放射状にいれて、カーブを調整し、近視を矯正するというものでした。
これはかなり技術を必要としますし、実際にどれくらいけずればよいのか、当時は事前に正確に測定する機械もなかったものですから、
成功率はかなり低いものでした。

いずれにせよ、レーシックの「角膜をけずって曲率を調整する」という発想の原点ともいうべき、手術であったことは間違いありません。

世界では現在に至るまで、様々な視力回復手術が開発され、着実に進歩してきました。
日本では1940年に順天堂大学の佐藤教授が、はじめて実際に角膜を削るPK法を臨床でおこないました。
その結果、角膜混濁をおこしてしまい、最終的には失敗におわりました。しかしこの臨床は眼科医学会に大きな影響を与えました。

視力回復術における革命的な出来事は、「レーザーを角膜に当てて削る」という発想です。
そして視力回復手術が飛躍的に発展したのはエキシマレーザの開発です。
1975年に開発されたエキシマレーザーは、波長は193nmと非常に短くその特徴は、物質の原子間結合を切断するということです。

人間の体は主にタンパク質で生成されています。
タンパク質はアミノ酸でできており、つまり炭素の化合物といえます。
エキシマレーザーは炭素の分子結合を切断することにより組織を蒸散させることができるのです。
熱を発生させず、角膜の奥までダメージをあたえることがないので、非常に屈折率を調整するのに適していました。

PRK法といわれる手法は、角膜をコンピュータで事前に計測したとおりにエキシマレーザーで削る手法です。
しかし、そのために角膜が傷つき、どうしても痛みをともなうという大きな欠点がありました。

そこでギリシャの眼科医、バリカス医師によって開発されたのが「レーシック手術」です。
レーシックとPRK法の大きな違いは、マイクロケラトームという機械で角膜の表面を削ってフラップを作成することです。
これにより、直接角膜を削るPRK法の弱点である痛みの発生を大幅に抑えることができました。